救い主イエス・キリストは、自力では決して救いに至ることのできない - そのままでは永遠の死と滅びに至るしかなかった - わたしたち人間の身代わりとして十字架にかかられ、その3日目に復活されました。救い主イエス・キリストがこの世に来られたのは、わたしたち人間の罪を贖い、主なる神との関係を回復させ、永遠の命を得させるためでした。これはまさしく、主なる神の御心です。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハ3:16~17)
わたしたちは救い主イエス・キリストを信じて受け入れ、救い主イエス・キリストに繋がりました。救い主イエス・キリストのおかげで、主なる神の御国の民であるクリスチャンとして生かされています。救い主イエス・キリストは、わたしたちの唯一の頭・かなめ石です。かけがえのない土台・礎です。すなわち、救い主イエス・キリストとの繋がりなしに信仰生活・教会生活は成り立たないということです。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハ15:5)
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(一コリ12:27)
あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。(エフェ2:19~22)
わたしたち長岡京教会はいま、創立52年目の歩みと働きをなしています。救い主イエス・キリストがわたしたちの中心・根幹であることを肝に銘じながら、信仰の群れとして立ちつづけましょう。救い主イエス・キリストとの関係を大切に守りながら、救い主イエス・キリストの御名によって集いつづけましょう。これからのことを思うと心配や不安などがこみ上げてきますが、自らのすべてを主なる神に明け渡して、できることをひとつひとつ全うしていきましょう。