「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタ4:17)と宣言されて公生活・公生涯に入られた救い主イエス・キリストは、いの一番に弟子づくりを実践されました。ガリラヤ湖のほとりにおいて4名の漁師をご覧になり、かれらを御自身の弟子とされました。
湖で網を打っていたペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレはすぐに、網を捨てて救い主イエス・キリストに従いました。父親のゼベダイと一緒に舟のなかで網の手入れをしていたヤコブとその兄弟ヨハネもすぐに、舟と父親とを残して救い主イエス・キリストに従いました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という救い主イエス・キリストの招きの言葉の意味をかれらがどれだけ身にしみて理解したのかは、正直、定かではありません。いずれにせよ明らかなことは、それまでの一切を捨てて救い主イエス・キリストに従ったかれらが、救い主イエス・キリストの弟子として生きつづけたということです。
あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタ28:19~20)
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使1:8)
ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネをはじめとする弟子たちは、3年にわたって救い主イエス・キリストと寝食をともにし、救い主イエス・キリストの一挙一動をすぐそばで見ただけでなく、救い主イエス・キリストの教えを直々に受けました。そして、救い主イエス・キリストを宣べ伝えました。かれらの働きがあったからこそ、数多くの人たちが救い主イエス・キリストを信じて受け入れ、救い主イエス・キリストの弟子・証し人になりました。その後、救い主イエス・キリストの弟子・証し人としての働きは今日に至るまで、時間、場所、文化などを越えて受け継がれつづけてきました。このおかげで、わたしたちは、救い主イエス・キリストの弟子・証し人として生かされています。
わたしたち長岡京教会はいま、創立50年目の只中にいます。自らが救い主イエス・キリストの弟子・証し人であることを心に刻みながら、救い主イエス・キリストが重きを置かれた弟子づくりに力を注ぎましょう。次世代の育成のために取り組みましょう。次世代が豊かな実りにあずかることができるように心を砕き、労苦を引き受けましょう(ヨハ4:38)。