「衣食住」は、日々の生活をなしていくうえでの三大要素です。このことからも明白なように、食べることは本当に重要です。食べることによって、わたしたちは必要なエネルギーや栄養素を摂ることができます。食べることによって、わたしたちの身体や心は育まれます。それゆえに、食事を抜いたり、忙しさにかまけて食事をとらなかったりすると、身体機能を維持するためのエネルギーや栄養素が不足し、悪影響が生じます。体調を大きく崩すこともあります。
信仰生活・教会生活において、主なる神の御言葉を食べることはきわめて肝要です。主なる神の御言葉は、信仰生活・教会生活の土台・礎、羅針盤であるからです。主なる神の御言葉は、食べることによってわたしたちの血と肉になります。主なる神の御言葉を食べつづけることによって、主なる神との関係に根差しつづけることができます。主なる神の民として生きつづけることができます。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタ4:4)
主なる神は、エゼキエルにむかって、主なる神の民であるにもかかわらず御自身に抗っているイスラエルの民のもとに御言葉を宣べ伝える御業の器(道具)として遣わされると言われました。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。」(エゼ2:3)「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。」(エゼ2:7)そのうえで、哀歌と、呻きと、嘆きの御言葉が記された巻物を食べるようにと言われました。
エゼキエルは、主なる神の御言葉である巻物をそのまま受け入れました。主なる神が食べさせてくださった御言葉を食べ味わいました。「わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」(エゼ3:3)そして、主なる神がお語りになったすべての御言葉を心におさめ、耳に入れたのち(エゼ3:10)、聖霊に導かれて、捕囚となっているイスラエルの民のもとへと行きました(エゼ3:14~15)。
わたしたち長岡京教会はいま、創立49年目のただ中にいます。救い主イエス・キリストのおかげで、主なる神の民として生かされています。主なる神は、日々、命の御言葉(霊の糧)をふんだんにお与えくださいます。大切なのは、主なる神の御言葉を感謝して食べ、養われていくことです。そして、主なる神の御言葉を携えて各々の持ち場に出かけて、主なる神の御心をひとりでも多くに取り次いでいくことです。これからも、主なる神の国と義を何よりもまず求めながら、主なる神の御言葉に根差し、主なる神の御言葉に満ちあふれた歩みと働きをなしていきましょう。