「箴言」は、世間一般の格言やことわざを寄せ集めたものではありません。「箴言」には、主なる神の律法を知り、その原理を生活の至るところにまで当てはめていた長老たちや賢者たちの教えが収められています。かれらが人間生活や自然現象などを観察するなかで得た知恵や知識をもとにして語った言葉、また、人の心を打つような道徳的または霊的な真理が、簡潔な表現で記されています。すなわち、「箴言」には、いかにすれば日々の生活のなかで聖なる道を歩むことができるのかということの鍵・手掛かりが示されているということです。
主なる神は、天地万物を創造されました。そして、いまもなお、被造物のすべてをきめ細かく支配・統治しておられます。主なる神は、すべてのものを生かし導いておられます。主なる神の恵みは、いつまでも決して変わることがありません。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタ5:45)
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。(マタ10:29)
アルファでありオメガである主なる神は、すべての物事をご存知である主なる神は、たしかな目的と理由をもって、わたしたちを選び出してくださいました。そして、救い主イエス・キリストを信じて受け入れる存在へと生まれ変わらせてくださいました。救い主イエス・キリストのゆえに、本来は資格・権利すらないわたしたちを御自身の民として見なしてくださいました。
主なる神の民であるわたしたちクリスチャンにとって大切なのは、主なる神の御心を最優先にすることです。主なる神の御業の器(道具)として、主なる神を見上げ、主なる神に耳を傾けることです。主なる神に力の限りを尽くして応えることです。主なる神は、わたしたちのすべてを隅々までご覧になって、吟味しておられます。
人間の道は自分の目に清く見えるが/主はその精神を調べられる。(箴16:2)
長岡京教会はいま、創立48年目の歩みと働きをなしています。これからも、救い主イエス・キリストのおかげで主なる神の民として生かされているという感謝感激に包まれながら、主なる神の国と義を何よりもまず求めつづけましょう。主なる神の眼差しを意識・認識しながら、自分本位かつ身勝手な道ではなく、主なる神との関係に根差した道を歩みつづけましょう。
シャローム!