2019年度 主題聖句

 

救い主イエス・キリストが十字架の死を引き受けるためにエルサレムに入城されたとき、エルサレムには過越祭のときに礼拝する人たちが数多く上って来ていました。そのなかに何人かのギリシア人がいましたが、かれらは12弟子のひとりであるフィリポのもとに来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」(21節)と頼みました。

 

フィリポはギリシア人のこの申し出についてアンデレに話してから、アンデレとともに救い主イエス・キリストに伝えました。すると、救い主イエス・キリストは、「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(23~24節)とお答えになりました。救い主イエス・キリストがこのように仰ったのは、御自身の十字架の死と復活によってのみ全世界の人たちに永遠の命が与えられるという福音を、弟子たちに意識・認識させようとしておられたからです。

 

わたしたちクリスチャンは、救い主イエス・キリストの体・弟子です。それゆえに、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)という救い主イエス・キリストの御言葉、そして、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」(25~26節)という救い主イエス・キリストの教えを真摯に受け止めて、各々の持ち場にて実践していくことが期待されています。

 

2000年以上にわたる教会の歴史に目を向けると、救い主イエス・キリストの体・弟子として、救い主イエス・キリストに従いつづけた信仰の先達たちが数多くいたことに気付かされます。かれらは自らの成功や利益などのためではなく、主なる神の国と義のために汗をかきました。かれらの献身的な祈りと奉仕のおかげで、今日の教会があります。今日のわたしたちがあります。

 

長岡京教会はいま、創立45年目の歩みと働きをなしています。永遠の命に生きていくためにも、信仰を次世代に継承していくためにも、救い主イエス・キリストに仕え、従いつづけていきましょう。救い主イエス・キリストこそが唯一の生きる道と真理であることを、各々の持ち場にてひとりでも多くに証ししていきましょう。救い主イエス・キリストに繋がるひとりひとりとして、主なる神に自らのすべてを明け渡していきましょう。主なる神の御心を最優先にしていきましょう。主なる神の御業の器・道具となりましょう。

 

シャローム!

 

Updated on Oct. 14, 2019

            主 の 祈 り ≫

 天にまします我らの父よ、
 ねがわくはみ名をあがめさせ
 たまえ。
 み国をらせたまえ。
 みこころの天になるごとく地にも
 なさせたまえ。
 我ら日用を、今日も与え
 たまえ。
 我らに罪をおかす者を我らが
 赦すごとく、我らの罪をもゆるし
 たまえ。
 我らをこころみにあわせず、
 悪より救い出したまえ。
 国とちからと栄えとは限りなく
 なんじのものなればなり。
             アーメン。

           ≪ 使 徒 信 条 ≫

 わたしは、天地の造り主、全能の
 父である神を信じます。

 わたしは そのひとりご、わたし

 たちの主、イエス・キリストを

 信じます。
 主は聖霊によってやどり、おとめ
 マリアから生まれ、ポンテオ・
 ピラトのもとで苦しみを受け、
 十字架につけられ、死んで葬られ、
 よみにくだり、3日目に死人の
 うちからよみがえり、天にのぼられ
 ました。そして全能の父である神の

 右に座しておられます。そこから

 こられて、生きている者と死んで

 いる者とをさばかれます。
 わたしは聖霊を信じます。きよい

 公同の教会、聖徒の交わり、罪の

 ゆるし、からだのよみがえり、
 永遠のいのちを信じます。

             アーメン。